雑草と呼ばれた男
シーズン成績 1勝11敗 防御率4.88
鋭いシュートを武器に沢村賞も獲得した闘志のエース。中日移籍1年目の1989年に20勝でカムバック賞を受賞し、翌年も2桁勝利を挙げるが91年は椎間板ヘルニアで6試合の出場に終わってしまう。当時成功率75パーセントと言われた脊椎軟骨除去手術を受け復帰し92年は開幕ローテーション入りを果たす。しかし初登板で2回持たず8失点で敗戦投手となると厳しい投球が続き開幕から6連敗。6月6日にようやくシーズン初勝利を挙げるもその後も勝てず1勝11敗の成績に終わってしまった。オフには戦力外通告を受けオリックス・ブルーウェーブへと移籍した。
【査定について】
変化した投球スタイル:カーブ3 シュート3...全盛期はシュートとストレートが投球の殆どを占めていたが、ベテラン時代はシュートのイメージを活かしてカーブを多投する投球術で勝負していたようだ。この年の映像を見てもしっかりカーブで三振を取っている。
対ピンチE...全体被打率.334 得点圏被打率.361
打たれ強さC...防御率5点近くの厳しい成績に終わったが2完投は立派。オリックスに移籍した翌年は5勝を挙げ完投勝利も果たしている。成績は悪いが、西本の秘めた闘志というか雑草魂というかそういう要素も残したかった。
ノビF...投球回75.2回で15被本塁打と厳しい数字。球威の衰えは当然あったと思うが、前年までと比べて奪三振率も極端に下がっている。
負け運...早い回で降板した試合もあったものの、先発16試合で降板までに貰った援護点は21点(手動で確認したので間違ってるかも)と少ない。実際QSは5試合あるものの1試合しか勝てていない。何より勝率が突出して悪いので付与。
スロースターター...復帰第一戦は4ホームランを浴びて1.1回で降板するなど立ち上がりに苦しんだが、その後の先発機会で初回に失点を許したのは15試合中2試合のみ。
【ひとこと】
80年の藤沢に続いてめちゃめちゃ負けた先発投手2人目。今年のドラゴンズも10敗カルテットが誕生しましたが、それだけ負けるってことは信頼を受けて起用された証拠でもあるんですよね。とはいえ20勝投手がたった3年後に1人で借金10は寂しいものがあります。
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