さかまのパワプロブログNEO

竜党。パワプロでOB選手を再現しています。

パワプロ2022 作成選手一覧

 

中日ドラゴンズ

黎明期〜1959年 ドラゴンズ誕生

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1936年に名古屋軍が創設。戦後ドラゴンズへと名称を変更しその歴史が始まった。1954年には杉下茂の大奮闘で初の優勝、日本一を成し遂げる。永久欠番西沢道夫(15)、服部受弘(10)の活躍も光った。

江藤慎一(1959年)
森徹(1959年)

 

1960年代 激動の時代

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60年に初のBクラス転落。その後も権藤博江藤慎一ら名選手が活躍したが巨人のV9も始まりリーグ優勝には届かなかった。69年には帽子のCDマークとドラゴンズブルーが生まれた。

徳武定之(1968年)
一枝修平(1968年)
千原陽三郎(1968年)

 

1970年代 燃えよドラゴンズ!

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主砲・江藤慎一の放出から始まった70年代。星野仙一が打倒巨人に燃え続け、74年にV10阻止となる20年振りのリーグ優勝を果たした。2代目ミスタードラゴンズ高木守も渋く活躍。「燃えよドラゴンズ!」も74年に誕生した。

高木守道(1974年)
広瀬宰(1974年)
井出峻(1974年)
鈴木孝政(1976年)

 

1980年代 野武士軍団と星野竜

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谷沢健一大島康徳田尾安志強竜打線の活躍で82年にリーグ優勝を果たした。87年から星野仙一が監督に就任すると大型トレード等でチームを改革。88年の優勝に導いた。

戸田善紀(1980年)
藤沢公也(1980年)
水谷啓昭(1980年)
木俣達彦(1980年)
谷沢健一(1980年)
高木守道(1980年)
中日ドラゴンズ(1982年)
田尾安志(1982年)
平野謙(1982年)
ケン・モッカ(1982年)
谷沢健一(1982年)
大島康徳(1982年)
宇野勝(1982年)
中尾孝義(1982年)
上川誠二(1982年)
田野倉正樹(1982年)
正岡真二(1982年)
藤波行雄(1982年)
豊田誠佑(1982年)
都裕次郎(1982年)
郭源治(1982年)
鈴木孝政(1982年)
三沢淳(1982年)
藤沢公也(1982年)
堂上照(1982年)
小松辰雄(1982年)
牛島和彦(1982年)
星野仙一(1982年)
木俣達彦(1982年)
1982年中日投手詰め合わせ
1982年中日捕手詰め合わせ
1982年中日内野手詰め合わせ
1982年中日外野手詰め合わせ
鈴木孝政(1984年)
藤王康晴(1984年)
杉本正(1986年)
大石友好(1987年)
上原晃(1988年)
立浪和義(1988年)
西本聖(1989年)

 

1990年代 10.8とドームへの道

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今中慎二山本昌の両左腕エースや立浪和義ら野手も役者が揃い94年には伝説の10.8決戦を闘った。97年にナゴヤドームへと移転。星野監督の下、99年には守り勝つ野球が完成し5度目のリーグ優勝を果たした。1994年にはマスコット「ドアラ」も誕生。

落合博満(1990年)
立浪和義(1990年)
バンスロー(1990年)
宇野勝(1990年)
仁村徹(1990年)
大豊泰昭(1991年)
スコット・アンダーソン(1992年)
西本聖(1992年)
前原博之(1992年)
清水雅治(1992年)
長嶋清幸(1992年)
アロンゾ・パウエル(1992年)
平田洋(1994年)
山本昌(1997年)
前田幸長(1997年)
大塔正明(1997年)
鳥越裕介(1997年)
益田大介(1997年)
荒木雅博(1997年)
川上憲伸(1998年)
日笠雅人(1998年)
立浪和義(1999年)
福留孝介(1999年)

 

2000年代 オレ達の黄金時代

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2004年に落合博満が監督に就任。アライバコンビ、川上憲伸岩瀬仁紀ら投打が噛み合いリーグ優勝。その後もAクラスに君臨し続け06年に優勝、07年に53年振りの日本一を果たすなど黄金期を迎えた。

レオ・ゴメス(2001年)
川上憲伸(2002年)
朝倉健太(2002年)
高橋光信(2004年)
春田剛(2006年)
中村紀洋(2008年)
河原純一(2009年)
和田一浩(2009年)

 

2010年代 栄光と暗黒の時代
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2010年,11年にチーム史上初の連覇を達成。12年も2位となったが、翌年4位に転落すると7年連続Bクラスの暗黒時代を迎えることとなる。監督が10年間で5人と目まぐるしく変わった時代でもあった。

エンジェルベルト・ソト(2011年)
鈴木義広(2011年)
小林正人(2011年)
小田幸平(2011年)
荒木雅博(2011年)
井端弘和(2011年)
平田良介(2011年)
小池正晃(2011年)
堂上剛裕(2011年)
野本圭(2011年)
川上憲伸(2012年)
大野雄大(2012年)
伊藤準規(2012年)
田島慎二(2012年)
山﨑武司(2012年)
西川健太郎(2013年)
辻孟彦(2013年)
濱田達郎(2014年)
又吉克樹(2014年)
森野将彦(2014年)
小笠原道大(2014年)
平田良介(2014年)
吉見一起(2016年)
小笠原慎之介(2016年)
小川龍也(2016年)
大場翔太(2016年)
ドリュー・ネイラー(2016年)
レイソン・セプティモ(2016年)
ファン・ハイメ(2016年)
高橋周平(2016年)
堂上直倫(2016年)
岩瀬仁紀(2017年)
笠原祥太郎(2019年)

 

2020年代 龍の未来へ
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エース大野雄大らの奮闘で2020年に8年ぶりのAクラス入りを果たす。22年から待望の立浪和義が監督に就任するも球団史上初の2年連続最下位の屈辱を味わった。2021年にはネーミングライツ契約によりナゴヤドームが「バンテリンドーム ナゴヤ」へと名称が変更された。

梅津晃大(2020年)
祖父江大輔(2020年)
木下雄介(2020年)
福留孝介(2021年)
根尾昂(2022年・投手専念)
ジャリエル・ロドリゲス(2022年)
岩嵜翔(2022年)
大嶺祐太(2022年)
阿部寿樹(2022年)
ペドロ・レビーラ(2022年)
ルーク・ワカマツ(2022年)
岡林勇希(2022年)
平田良介(2022年)
涌井秀章(2023年)
松山晋也(2023年)
細川成也(2023年)
クリスチャン・ロドリゲス(2024年)

 

阪神タイガース

山内一弘(1964年)
藤川球児(2016年)

 

東京ヤクルトスワローズ

五十嵐亮太(2004年)
石井一久(2006年)
高津臣吾(2006年)
久古健太郎(2011年)
五十嵐亮太(2019年)

 

広島東洋カープ

広池浩司(2002年)
黒田博樹(2015年)
新井貴浩(2015年)

 

横浜ベイスターズ

佐伯貴弘(1998年)
村田修一(2003年)
佐々木主浩(2004年)

 

 

ソフトバンクホークス

小久保裕紀(2007年)
大村直之(2007年)
小椋真介(2010年)
柴原洋(2010年)
中田賢一(2015年)

 

西武ライオンズ

田尾安志(1985年)
松坂大輔(1999年)
松坂大輔(2001年)
細川亨(2004年)
中島裕之(2004年)
涌井秀章(2011年)
帆足和幸(2011年)
西口文也(2011年)
岸孝之(2011年)
石井一久(2011年)
菊池雄星(2011年)
牧田和久(2011年)
浅村栄斗(2013年)

 

日本ハムファイターズ

富田勝(1977年)
木佐貫洋(2013年)
大引啓次(2013年)
赤田将吾(2013年)
飯山裕志(2014年)

 

千葉ロッテマリーンズ

小山正明(1964年)
菊村徳用(1975年)
落合博満(1982年)
平沼定晴(1989年)
上川誠二(1989年)
サブロー(2012年)

 

オリックスバファローズ

坂口智隆(2008年)
村松有人(2008年)
八木智哉(2013年)
糸井嘉男(2013年)
平野恵一(2014年)

 

近鉄バファロー

中村良二(1994年)
中村紀洋(1996年)

 

 

野口茂樹(2001年)【パワナンバー・パワプロ2022】

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中村さんのおかげです

シーズン成績 12勝9敗 防御率2.46

表彰・タイトル 最優秀防御率 最多奪三振 ゴールデングラブ賞

切れ味鋭いスライダーで1999年には19勝を挙げる活躍でリーグ優勝に貢献しMVPを獲得。翌年は9勝に終わるも、2001年はフォーム変更の効果もあり日本タイ記録となる4試合連続無四球完投を記録するなど制球が大きく改善し4月、5月に月間MVPを獲得。後半は援護に恵まれずシーズンを終えたが自身初の最多奪三振を含む2冠に輝いた。

 

【査定について】

コントロール 上述の4試合連続無四球完投など、シーズンでも僅か28四球(与四球率1.30)と制球が大きく改善した野口。しかし他の年の四球数を見てもこの年だけが突出して良く、正捕手の中村武志からも勝手にボールが散るタイプと評されており四隅を突くような投球では無かったようだ。コントロールはBに留めた代わりに低めや逃げ球などの特殊能力で補正。

シュート 投球のほとんどはストレートとスライダーだけだが、ちょっと投げてる(プロスピのOBでもシュートが付いてる)。スプリットやカーブ、縦スライダーとも迷ったけど今回はシュートで。

真っスラ 中村武志週刊ベースボールで「真っ直ぐが微妙にスライダーがかかる」と証言している他、日本シリーズで投球練習を見た工藤公康も打者の手元で微妙に変化すると語っている。

ゴロピッチャー ボールを徹底的に低めに集め、5月24日の阪神戦では16奪三振、1安打完封フライアウト無しの好投。

 

【ひとこと】

当時を見てた人によると、この年が一番すごいボールを投げてたらしいね。

 

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勝野昌慶(2024年)【パワナンバー・パワプロ2022】

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鉄仮面リリーバー

威力のある直球と変化球で打者を圧倒するリリーバー。プロ入り当初は先発だったが、2023年から中継ぎに転向すると50試合に登板し防御率2.01の好成績を収めた。2024年も最強リリーフ陣の一角として開幕戦から登板。4月2日の巨人戦では球団日本人最速タイに並ぶ158キロをマークするなど今季の活躍にも期待が高まる。

 

【査定について】

印象含めてデフォからかなり変更。

球速 球団日本人最速タイに並んだ!

コントロールD→E 意外とアバウトで四球も多いが球威で押し切る

スタミナE→D 元先発の為スタミナは結構ある。今年も早速回跨ぎをこなした

SFF3→4 本人もスプリットには自信。今年はフォークでの三振が多い。

真っスラ 重い球 ノビD 社会人時代から動く直球が武器。プロ入り後は一時期封印していたが2022年から社会人時代のフォームに戻し真っスラが復活。デフォではノビCだがノビというより球威で押し切るタイプなので重い球を追加。

ポーカーフェイス 感情を出すとピッチングが乱れることから、ポーカーフェイスを貫く。デフォに付いてないのが不思議。

スロースターター 先発時は初回から球数が多いことが課題だった。先発時にのみ発動するので中継ぎ起用なら影響ナシ。

勝ち運なし どうしても先発時のムエンゴ具合が頭に残る。今年10勝ぐらいしたらごめんなさい。

 

【ひとこと】

身体のムキムキ度も増して投球もレベルアップしている気がします、登板数が多いのだけが心配ですが今年もきっとやってくれるでしょう!

 

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高木守道(1965年)【パワナンバー・パワプロ2022】

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若き日のいぶし銀

シーズン成績 打率.302 11本 48打点

タイトル・表彰:ベストナイン 盗塁王

後にミスタードラゴンズと呼ばれる歴代最高の二塁手。入団4年目の1963年にレギュラーに定着し二桁本塁打、50盗塁で盗塁王を獲得、64年には自己初のベストナインにも輝いた。65年は開幕から1番、2番を務めたが8月から打撃の調子が上がり3番に定着。チームの14連勝、2位進出に大きく貢献し自身も初の打率3割を達成したシーズンとなった。

 

【1965高木守道 データBOX】

得点圏打率.419
主に上位を務めたため打点こそ多くないが驚異の得点圏4割。8月からの3番起用もこの勝負強さが認められたからだろう。

○対左右別先発時打率
右先発時打率.299(351-105)
左先発時打率.310(132-41)
※手動計算

本塁打
対右投手 8本
対左投手 3本

○月間打率/1試合3安打以上回数
4月 .240(50-12)/1回
5月 .273(66-18)/2回
6月 .293(58-17)/1回
7月 .265(64-17)/1回
8月 .368(103-38)/3回
9月 .333(90-30)/5回
10月 .269(52-14)/0回
※手動計算

 

【査定について】

俊足の守道:盗塁B かく乱 内野安打 この時期の高木の武器は守備以上にその快足。右打者ながら併殺数はわずか1。63年には三盗14(成功率.875)、本盗2、64年には1試合5盗塁も記録し、当時の雑誌ではパの盗塁王広瀬叔功並の足と評されている。足を最大限に活かせる特能盛り盛りで。

ローボールヒッター 最近の書籍でも低めに強く、すくい上げるホームランがあったと紹介されており、当時の記事でも「高めに弱く、低めに強い」という記載が確認できる。自身でも低めの方が好きだと発言している。

名手ゆえの不安定さ?:エラー 気分屋な性格で前年まで攻守に安定感を欠いたと当時の記事で紹介されているが、上記の月間打率を見るとこの年は打の方はかなり改善されている。しかしエラー数は前年(20)に引き続きこの年も18と多く、特に手痛い場面でエラー癖が飛び出すことが多かったようだ。堅守のイメージから捕球はあまり下げたくなかったのでDに留めエラーを付与。

いぶし銀 現役を通じて渋い働きを見せた高木だが、この年の記事では「斬りこみ小隊長」と評されるなど韋駄天として紹介されている。年齢的なことを考えてもまだこの時は付けなくていいかな。

 

【ひとこと】

最近得点圏打率が判明したので作成。一瞬日和ってチャンスBで留めようかとも思いましたが思い切ってAにしました。1,2番の打者にチャンスAっていいよね。

1,2番の打者にチャンスAっていいよね!!

 

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川崎憲次郎(2004年)【パワナンバー・パワプロ2022】

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オレ流開幕投手

シーズン成績 0勝1敗 防御率34.71

ヤクルト時代には速球と切れ味鋭いシュートを武器に4度の2桁勝利、巨人キラーとして名を馳せた右腕。2000年オフにドラゴンズへとFA移籍も右肩痛で3年間一軍登板無しに終わるが、落合新監督が就任した2004年に開幕投手へと大抜擢される。結果は2回5失点もチームは奮起し大逆転勝利、リーグ優勝の原動力となった。しかし川崎はその後復活できず、この年限りでユニホームを脱いだ。

 

【査定について】

一軍では滅多打ちにあった川崎だが二軍では11試合に登板し防御率3点台、4勝とそこそこの成績を残している。一軍は登板・対戦数が少なすぎるので二軍成績も加味して作成。

復活への新球:チェンジアップ 前年オフに鈴木孝政コーチから伝授されたチェンジアップを習得。一軍では1球しか投じていないが、当時の新聞によると二軍戦では様々なカウントで試すなど効果的に織り交ぜていたようだ。

貫いた投球スタイル:内角攻め ゴロピッチャー 上記のチェンジアップを習得するなど新たな投球スタイルを目指したが、引退後のインタビューでは「(シュートでゴロを打たせる)投球スタイルを変えたくなかった」「(緩急をつける投球を試すも)なかなかスタイルを変えられない自分がいて...」と語っている。二軍最終登板となった8月27日の二軍戦でも内野ゴロ12個のピッチングを見せた。

コントロール・スタミナ 二軍では48 1/3回で10四球とゴロを打たせるコントロールは戻ってきていた。スタミナも4月18日の二軍戦で102球8回無失点の好投を見せるなど長いイニングも投げられている。両方とも二軍成績を基準に作成。

スロースターター 開幕戦の初回こそ無失点に抑えたが、それ以外では引退試合を除き滅多打ち。当時の新聞でも立ち上がりに課題、スロースターターを自認するという記述がある。

ピンチF 対ランナー× 一軍では得点圏被打率10割(5-5)だが、これはサンプルが少なすぎるのでGにはせず。その代わり前年の二軍登板の際に何度もスポーツ紙で指摘されていた「走者を出してからの投球が課題」からランナー×を追加。本人もセットになってタメが出来なかったと語っている。

 

【ひとこと】

他の方が作成した2004川崎に比べるとちょっと強いかもしれません。引退試合落合監督とのエピソードは胸が暖かくなりますよね。

 

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森徹(1959年)【パワナンバー・パワプロ2022】

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伝説の豪打者

シーズン成績 打率.282 31本 87打点

表彰・タイトル:本塁打王 打点王 ベストナイン

強肩豪打のスラッガー。高校時代は柔道への道を志していたが、早稲田大学時代にベストナインに4度選出される選手へと成長し、鳴り物入りで中日に入団。ルーキーながら4番に定着し、新人王は逃したものの23本塁打、73打点の成績でベストナインにも輝く。迎えた2年目の1959年には更なる成長を見せ、桑田武と並ぶ31本塁打、リーグトップの87打点で2冠王に輝いた。翌年も主軸として活躍したが、4年目に濃人渉が監督に就任すると、濃人の贔屓起用も相まって軋轢が生まれ出場機会が減少。1961年のオフにはトレードで大洋へ移籍。その後東京オリオンズにも移籍したが、1968年限りでプロ生活を終えることとなった。

 

【査定について】

過去に1度作成したがデータや色々な情報が集まったため再度作成

チャンスE 得点圏打率.228 数値的にFでも良かったが打点王補正で甘めに査定(実際前後年の得点圏打率は低くない)。

弾道3パワーヒッター 新人から3年連続で本塁打数トップ3に入った森だが、当時を見たファンの証言によると森の打球は叩きつけるスイング*1から突き刺さるような当たりが多かったという(王貞治のような綺麗なアーチを描くタイプではなかったらしい)。前回は弾道4+ラインドライブで作成したが、理想のアーチを追求し続けた森に敬意を評しどうしてもパワーヒッターを付けたかったので今回は弾道3にして作成。

マルチ弾 5度の1試合2本塁打

走力 前年にランニングホームランを記録している(この年代なので参考程度だが)他、当時の週刊ベースボールに「俊足揃いのチームでもヒケを取らない自信がみられる」と走塁を評価されている。

調子極端 打撃にムラがあったという記述がいくつかあり、前年も前半戦は不調で体調不良による離脱後の後半戦から打棒を発揮。翌年のインタビューでも自身の打撃を「むらがある」「その日によって打つとこが変わっちゃう」と評している。

ダメ押し 責任感が非常に強くプレッシャーに弱いタイプだったようで、ルーキーイヤー前半戦の不調も4番を任された重圧からだったと言われている。しかし、この年は得点圏打率は低いが打点王を獲得。このことから、プレッシャーのかからないチャンスの場面ではしっかり打点を挙げていたのでは?と予想しダメ押しを追加*2

人気者 オールスター選出、大学から鳴り物入りで入団した他、翌年の週刊ベースボール12球団選手名鑑では長嶋や杉浦らを差し置いて表紙を飾っている。週べでも特集を組まれることが多く、当時はスター級の知名度があったのだろう 

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【ひとこと】

当時の週べから多くの情報を拾えた為、50年代にしてはかなりクオリティの高い査定が出来たと自己満足しています!この年の中日打線はかなり面白いメンバーなので、いつかスタメンだけでも全員再現してみたいですね。

 

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*1:本人もインタビューで「ボクのバッティングは引っぱたくのが根本」「(スウィングで打つ)長嶋や桑田とは根本が違っている」と発言している。

*2:打点を増やす査定として、デフォの中田翔式のチームプレイ〇も考えたが、濃人監督就任後にチームキャプテンに指名されたことが退団のきっかけにもなったので選手イメージには似合わないと判断。

鈴木孝政(1984年)【パワナンバー・パワプロ2022】

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技巧派カムバック

シーズン成績 16勝8敗 防御率4.07

タイトル・表彰 カムバック賞

故障前は快速球を武器に抑え、故障後は技巧派の先発投手として通算124勝96Sを挙げた右腕。先発転向3年目の1984年は初の開幕投手を任されると、ローテーションの一角として前半戦時点でハーラートップの10勝を挙げオールスターにも出場。最終的にタイトルは逃したもののリーグ2位の16勝でカムバック賞を受賞した。

 

【査定について】

先発タカマサの球種:ツーシームファスト+スライダー  先発転向後は1982年も作ったが、今回作り直したのはツーシームを投げていたという情報を入手した為。2020年10月17日放送のドラHOT+で「ツーシームは変えるのは握りだけですから。シュートするわけですよね。(中略)左バッターの外へツーシームを投げるとセカンドゴロを打ってくれるんですよ、ちょっと泳いで。私はそういう用途でツーシームは投げましたね」と発言している他、2017年にラジオでも同じようにツーシームを使っていたという発言をしている。

先発転向時に球速差を付けたストレート(今でいうチェンジアップ)を権藤投手コーチから伝授され、これが効果を発揮した。


フォークも抑え時代からの武器で82年の日本シリーズでも投じているが、チェンジアップを付けたのでオミット。
また、前回は付けなかったが転向後にスライダーを習得したことが先発として活躍できた理由だったようで、ベースボールカードに「先発転向後はスライダー投手」という記述がある他、一塁を守っていた谷沢健一もスライダーについて触れている。

勝ち運 &要所○ 防御率4点台(規定到達者20人中15位)ながらリーグ2位の勝ち星。貯金数8はリーグトップタイ。また、被打率が高く防御率も悪いが、これだけ勝ち星を伸ばしているのは要所を抑えていたからだろう(著書「流汗悟道」でも触れられているが、この年7/15日の大洋戦では10被安打ながら3失点完投で勝利投手)。

コントロール 前年の83年に規定到達し15四球という歴代3位の記録を作っている。この年もリーグ規定投球回以上の投手の中では最小なのでAまでアップ。

スタミナ 前年までの近藤監督時代は投げすぎ防止の方針から練習でも100球以上を投じていなかったが、山内監督が就任したこの年はキャンプで200球以上投じたとの記述がある。当時の基準では投球回はそこまで多くないが、9完投という数字も考慮しBに。但し当時では珍しい中5日以上の起用法が取られているので回復はDで。

 

【ひとこと】

本ブログ3度目の鈴木孝政です。落合監督時代のあれやこれがあって嫌われているイメージもありますが、自分は実績的にも人柄的にも嫌いじゃなかったです。OB会長おつかれさまでした。

 

※4/6追記 能力変更しました。

 

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