技巧派光るコーナーワーク
シーズン成績 7勝6敗1S 防御率3.42
阪急時代にノーヒットノーランを達成した晩成右腕。PL学園時代の1963年には選抜記録となる1試合21奪三振を奪うなど注目を集め夏の大会後に阪急に入団。5年目に初勝利と芽が出るまで時間がかかったものの75年から2年連続で2桁勝利、76年5月11日にはノーヒットノーランを達成。76年オフには4対3のトレードで中日へ移籍すると、在籍6年間で20勝と投手陣を支えた。移籍4年目の80年はチーム2位となる137.1投球回を投げ規定投球回に到達。最下位に沈んだ先発陣で唯一勝ち越しを記録しベテランの意地を見せた。
【査定について】
変化球...スライダーとカーブを生命線にしたピッチングで時折シュートを混じえる。縦スライダーも投げているという情報もあったが、より技巧派感を出すためこの球種構成で。
ノビE...1977年には巨人の投手新浦から12球連続ファールを記録されている。球威と空振りを取れる変化球がなかったと予想。
2:20~
リリース〇...変則気味の小さなモーションからインステップ気味に踏み出すフォーム。出どころが見にくそうだが球持ちをつける程ではないのでリリース〇に。
緩急...球威は落ちていたが、燃えよドラゴンズでは「努力屋戸田のコーナーワーク」と評されたベテランらしい投球術を持ち味とした。王貞治が戸田の球をあまりにも速いと感じて引退を決意したという逸話は、球を速く見せる投球術があったと推測。
【ひとこと】
付けれそうな赤特もなかったのでスッキリした能力になりました。
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