さかまのパワプロブログNEO

竜党。パワプロでOB選手を再現しています。

徳武定之(1968年)【パワナンバー・パワプロ2022】

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キャンペーン「どん底の竜達」

華麗なるスター三塁手

シーズン成績 打率.238 11本 31打点

国鉄、中日でプレーした内野手早稲田大学時代は六大学野球のスターとして活躍し11球団による獲得競走の末、国鉄スワローズへ入団。1年目から4番を任されるなど史上3人目となる新人フル出場を果たしチーム初のAクラス入りに貢献。3年目には打率3割を達成するなど中軸を務め入団から6年間で821試合連続出場を記録した。1967年オフに河村保彦との交換トレードでドラゴンズに入団。5月中盤からスタメンに定着し規定未到達ながら11本塁打を放つと、守備では僅か2失策で当時の三塁手守備率記録となる.993を記録した*1。70年に引退後はロッテ、中日でコーチを歴任し90年、95年には各球団で監督代行も務めた。

 

【査定について】

守備力 守備率に関しては文句なしの数字だが、徳武の守備に関しては様々な議論がある。国鉄時代にはショートの豊田泰光と共に(悪い意味で)不動の三遊間と言われていたが、全盛期の守備機会は非常に多く、通算守備得点も好守と言われた長嶋茂雄とそこまで変わらない。とはいえ当時の証言でも守備範囲の狭さがかなり指摘されておりスワローズ時代後期の選手名鑑でも「守備面が課題」「守備は物足りない」「守備面の不安は依然消えない」などの記述が目立つ。そこで今回は当時のイメージ7:記録3ぐらいの割合で査定。全盛期でないことも考慮しそこまで守備力を上げなかったが、当時としては破格の守備率を記録するためにはある程度の守備技術も必要だと判断しD後半で作成した。

以下のページを参考にさせて頂きました。

ラインドライブ 3年目の1963年にそれまでのアッパー気味のスイングから腰を水平に回し打球を前で引っぱたく「引っぱたき打法」にフォーム変更し打率3割を達成。この打法により打球が非常に速くなったようだ。
(週間ベースボール1964年2月3日号83ページ)

ホーム突入 大学時代に激しいホームへのスライディングで乱闘寸前となった「リンゴ事件の再来」が有名。

対左C 左投手との対戦は少ない時代だが、左投手先発時の打率が.300(手動調べなので誤差あるかも)と高い。この年唯一の1試合3安打以上も左投手から放っている(9/22 巨人戦 相手投手高橋一三)。但し本塁打は右9 左1とそこまで左から打ってないのでCに留めた。

選球眼 慎重打法 現役通じて四球が多い打者。この年のIsoD(出塁率-打率)は.086とこの時代では強打者クラス。

一塁適正 スワローズ時代はサードで連続出場を続け通算でもファーストでの出場はこの年の2試合しかない。全盛期を作るとしたらサードのみだが、トレード後で他の守備位置も守った感を出す為にはファーストがあった方が似合うかな。

成長タイプ 30歳を迎えるシーズンながら翌年以降一気に出場数を減らしてしまい2年後に引退となるので早熟にしてます。

 

【ひとこと】

作成しようと思ったきっかけは守備率記録などが大きかったですが、調べていくうちに大学時代の注目度(週べでもめっちゃ特集が組まれてる)だったり、今で言う鳴り物入りのドラ1クラスがトレードされて...でも守備記録を作って...という点が非常に面白かったです(めっちゃさかまの好みなタイプの選手)。守備面などで迷いましたがすごく楽しんで査定できました。

今回のキャンペーンで作成予定だった選手はこれにて一旦終了。もう少し作りたい選手もいるので次回からは「どん底の竜達 延長戦」という形でアップしていきます。

 

作成選手一覧はこちら

*1:この記録は2011年に宮本慎也に破られるまでプロ野球記録だった。