さかまのパワプロブログNEO

竜党。パワプロでOB選手を再現しています。

高木守道(1980年)【パワナンバー・パワプロ2022】

f:id:sasakama_sakama2828:20231023170000p:image
f:id:sasakama_sakama2828:20231023165952p:image
f:id:sasakama_sakama2828:20231023165944p:image

キャンペーン「どん底の竜達」

さらばいぶし銀

シーズン成績 打率.233 5本 14打点 3盗塁

ゴヤのセカンドを守り続けた2代目ミスタードラゴンズ。1979年は130試合の出場で3割を記録し自身7度目のダイヤモンドグラブ賞にも輝く。翌80年も開幕1番セカンドを務めるが若手の台頭と肩痛による離脱が重なり出場機会が減少。それでもスタメン出場した7月15日から3日連続でホームランを記録するなど意地を見せたが、レギュラー定着後では最低となる80試合の出場に終わった。シーズン終了後、王貞治の引退発表に伴い高木も引退を決意。通算2274安打、ベストナイン7度、二塁の各種守備成績では歴代最高を誇るレジェンドだ。

 

【査定について】

バックトスへの執念:魔術師...コーチから禁止命令を受けても取り組み続けたというバックトス。その職人の姿勢と史上最高の二塁手の多大なる実績への敬意として、最終年のこの年にも魔術師を付けたい。身体能力は落ちていたものの、守備技術は全盛期と変わらないものがあったようだ。

ミート...前年3割もこの年.233と悪化。高木は引退の決め手となった要因として視力の悪化を挙げている。三振の少なさや実績的にEで留めても良さそうだが、引退イヤーということも含めてギリギリFに。

基礎能力...コーチ兼任としてプレーしたこの年、シーズン後半は自ら若手選手の起用を進言し自ら出場を拒んだようだ。また王貞治の引退でリーグ最年長野手となるプレッシャーに耐えられる自信がなかったとも発言しており、能力的には余力を残した部分もあったと思うので基本高めに作成。

 

【ひとこと】

出場数や打撃成績でも若手に引けを取っておらず、まだまだやれたんじゃないかという印象。しかし結果的に田野倉の成長や上川の獲得、高木自身もコーチとして82年の優勝に貢献しているので、とても綺麗な引き際だったと思います。

 

作成選手一覧はこちら