さかまのパワプロブログNEO

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仁村徹(1990年)【パワナンバー・パワプロ2022】

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流し打ちの職人

シーズン成績 打率.298 4本 32打点

勝負強い打撃と堅実な守備の職人。入団時は下手投げの投手で1984年には初勝利を挙げたが、翌シーズンから打者に転向。上川誠二のトレード移籍に伴いセカンドに定着し1987年には自己最多の122試合に出場。翌年以降は左膝の故障に苦しむも勝負強い打撃で88年の優勝に貢献。89年から3年間主将を務めるなど、内野の一角としてチームを支えた。96年にロッテへトレード移籍し97年限りで引退。2020年からはドラゴンズの二軍監督も務めた。

 

【査定について】

決勝打なし...1988年は「勝負師」「必殺仕事人」と評される打撃でリーグ優勝に貢献したが、この年オフの月刊ドラゴンズ('91年 2月号)の記事を見ると「勝負どころでの印象が薄かった」「勝負強いイメージが影を潜めてしまった」と述べられている。故障の影響もありバッティングの調子を崩した時期があったようだ。

チームプレイ〇なし...基本的に犠打数が多い打者だが、上記の記事で不調に陥った原因として周りの本塁打数に連られてつなぎ役に徹することが出来なかったことを挙げている。犠打数も2桁に達していない。

チャンスC...勝負強さは欠いたものの得点圏打率は.325と高い。

対左E...対右投手打率.308 対左投手打率.265 この年までの通算本塁打32本のうち左投手からは3本のみ

インコースヒッター...バッティング面では落合博満の打法を見本に練習を行ったようだ。映像を見てもインコースを流して巧みにヒットにしている。

 

【ひとこと】

数字的には自分のイメージの仁村徹ぽい成績ですが、資料収集したうえで決勝打つけれなかったのがモヤりますね。ちなみにこの年まで兄の仁村薫も在籍していたので「仁村弟」表記です。

 

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