さかまのパワプロブログNEO

竜党。パワプロでOB選手を再現しています。

藤王康晴(1984年)【パワナンバー・パワプロ2022】

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尾張の怪物

シーズン成績 打率.361 2本 8打点

高校通算49本塁打を記録した剛打が魅力のスラッガー享栄高校時代には3年春の甲子園に出場し大会記録となる11打席連続出塁や片手一本でライトスタンドに運ぶホームランなど大活躍を見せ、1983年のドラフト1位で地元ドラゴンズに入団。入団時から大きな期待を受け、高木守道がつけていた背番号1を背負う。序盤こそ二軍戦に出場していたものの、ジュニアオールスターでの4打席連続安打などをきっかけに夏場から一軍に昇格。主に代打として少ない打席数ながら打率3割5分を超える大活躍。チームは優勝を逃したものの、鮮烈なデビューイヤーとなった。その後は守備難や打撃不振でブレイクできず、素行面でも問題が見られ90年に日ハムにトレード移籍。92年に戦力外通告を受け、そのまま現役を引退した。

 

【査定について】

カメハさんの査定も参考にさせて頂きつつ

固め打ち...甲子園の11打席連続出塁のうち8打席連続安打、ジュニアオールスターの4安打など大舞台で固め打ち。

対左...当時の週べに左投手が苦手だったという記述がある。だが苦手なはずの左投手ともっと対戦したいと藤王自身が発言している。間をとってEで。

外野適性...本格的なコンバートは翌年からだが、高校時代にもライトを守った経験があった。

代打〇...この年に限っては代打起用で好成績を残したが、翌年以降は一軍で代打要員の座も確保できず。基礎能力も高めに作成したので今回はなしで。

 

【ひとこと】

中日球団の歴史でも藤王ほどの大きな期待を受けた選手はごくわずかでしょう。1年目からこれだけ打てる力を持っていただけに、その後活躍できなかったのはやはり残念です。ちなみにパワプロ2022には「ふじおう」のよび方が用意されていません。それも残念。