さかまのパワプロブログNEO

竜党。パワプロでOB選手を再現しています。

惜別球人 平田良介【特集】

ドラゴンズの中軸を担い続けたスラッガーが17年間のプロ生活を終えた。2005年高校生ドラフト1位入団・平田良介 彼の足跡をパワプロ能力や映像と共に振り返っていこう。

大阪桐蔭時代には高校通算70本塁打を記録。3年時に出場した甲子園では清原和博以来の1試合3本塁打を放つ大活躍もあり、2005年高校生ドラフトにてドラゴンズに1位入団。落合博満監督からは「鍛えれば俺以上の打者になる」とコメントされるなど大きな期待を受けた。

1年目の2006年から一軍出場を果たし、プロ初打席はサードゴロ。二軍では打率.267 3本塁打の成績を残した。

2年目の2007年は中盤に肩を故障するもシーズン終盤にスタメン出場を経験。10月6日のヤクルト戦ではプロ初安打、7日の横浜線ではプロ初の猛打賞も記録した。この年のポストシーズンでは英智の故障もありCSの全試合でセンターでスタメン出場。日本シリーズ第3戦では安打を放ち、王手がかかった第5戦ではダルビッシュ有から決勝の犠牲フライを放ち日本一を手繰り寄せた。

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さかま作

 

2008年は一軍と二軍を行き来し一軍では59試合に出場。終盤の9月7日の横浜戦では9回に代打出場しサヨナラ本塁打となるプロ初本塁打を放った。

 

2009年野本圭の入団や藤井淳志の台頭もあり前年を下回る42試合の出場に終わると、翌2010年も出場機会を得られず一軍出場は6試合に留まる。オフに背番号を8から40へと変更した。

 

転機となったのは落合政権最終年の2011年。5月5日に一軍昇格を果たし6月4日の西武戦で延長11回裏にサヨナラ本塁打を放つと、翌日のロッテ戦でも2日連続となるサヨナラ本塁打を記録。6月の月間MVPを受賞した。その後は不調に陥る時期もあったが、最終的に113試合に出場し自身初の2桁本塁打とリーグ3位の8補殺を記録。ポストシーズンでもCSファイナルステージ第4戦でタイムリーを放ちお立ち台に上がった。

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さかま作

 

高木政権1年目の2012年は自身初の開幕スタメンを経験し、その試合でチーム初本塁打を放った。8月24日のレジェンドユニフォームデーでも本塁打を放ったが、故障の影響もあり打率.216と安定感を欠くシーズンとなった。

 

2013年は開幕から33打席無安打で二軍落ちを経験したが、復帰後の6月23日の読売戦で1試合2本塁打を放ち右翼レギュラーを奪い返す。7月17日の広島戦では逆転満塁弾、8月16日から3試合連続弾を放つなど最終的に打率.289 15本塁打を記録したが、規定打席には到達しなかった。

 

谷繁政権1年目の2014年は前年退団した井端の背番号「6」を背負う。首脳陣からの期待は大きく、開幕から4番・ライトで起用され4月17日にはサヨナラ安打を放った。交流戦直前に左手中指亀裂骨折で不調に陥り6月後半には左足首の捻挫で離脱。復帰後は主に6番を務め自身初の規定打席に到達した。

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さかま作

 

2015年も開幕から中軸を務める。この年入団した亀澤恭平と共にホームランパフォーマンスを繰り広げた。

2年連続の規定打席到達を果たし、チーム2位の打率.286とチームトップの15本塁打を記録。自身初のベストナインにも選ばれた。オフにはプレミア12日本代表にも選出され、26打数11安打と勝負強さを見せた。

 

2016年、開幕前の侍ジャパン強化試合に代表として参加。チームでは1994年以来となるキャプテンを務め、中軸として6年連続の2桁ホームランを放った。打率は.248に終わったものの、得点圏打率は.353を記録し、パワプロ2016ではチャンスAの能力もついた。

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パワプロ2016 ver1.06 デフォルトデータ

シーズン中には敗戦後にダヤン・ビシエドに侮辱行為を行った観客に対し怒りを顕にするなど、チームメートを思う一面も見られた。

オフにはFA権を取得したが、SNSでファンのメッセージを受け行使せず残留を表明した。

 

2017年WBC日本代表に選出され2試合に出場。

シーズンではビシエドゲレーロを押しのけて4番を務める時期もあったが、右膝の故障で66試合の出場に終わる。

 

10キロの減量を経て望んだ2018年は序盤こそ不振だったものの、5月から月間打率3割以上を続け首位打者争いにも名を連ねる。6月7日のロッテ戦では自身8度目となるサヨナラ打を放つなどチームを牽引。8月16日の横浜戦では史上68人目となるサイクル安打を達成した。結果的に自己最多の138試合に出場。リーグ3位の打率.329を記録し、自身初のゴールデングラブ賞を受賞するなど充実の1年となった。

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さかま作
9月29日に行われた野本圭引退試合では、野本の最終打席直後の打席で涙を見せた。

 

与田政権1年目の2019年、開幕から主に1番を務め7月20日の横浜戦で本塁打を放ち通算100本塁打を達成。センター大島との広大な守備範囲で何度もピンチを救ったが、8月14日の阪神戦で死球を受け離脱。95試合の出場に終わった。

 

2020年は6月時点で打率1割台と開幕から不振で故障の影響もあり7月後半には二軍落ち。復帰後、9月9日の巨人戦で通算1000本安打を達成するなど月間打率.288と盛り返すもコンディション不良で2度目の離脱。チームがAクラスと躍進する中で55試合の出場に終わってしまう。

 

2021年は開幕一軍入りも4月中に不振で登録抹消。二軍調整を行っていたものの、7月4日に救急搬送され異型狭心症、喘息と診断される。このシーズンは症状を見ながら回復に務めることとなった。

 

立浪政権1年目の2022年、開幕一軍入りを果たすと主に守備固めや代打要員として出場。開幕戦の巨人戦では2点ビハインドの7回に代打二塁打を放つ。新型コロナウイルス感染による離脱はあったものの、7月に再昇格を果たすと16日の阪神戦は2年ぶりのホームラン、8月12日の阪神戦では3番レフトとしてスタメン出場し、1打席目からタイムリーを放つなど印象的な活躍を見せた。しかし8月26日を最後に安打が出ず、9月17日のヤクルト戦で延長12回サヨナラのチャンスの場面で凡退すると試合後に指揮官から構想外を告げられる。

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パワプロ2022 ver1.08 デフォルトデータ

 

10月4日、戦力外通告を受けるも本人はNPBでの現役続行を希望。他球団からのオファーを待ったが、獲得に動く球団は現れず12月28日に引退を表明した。

2023年2月13日に3月18日楽天とのオープン戦で引退セレモニーが行われることが発表された。

 

通算成績 1227試合 .268(3900-1046) 105本 484打点 41盗塁

表彰・タイトル ベストナイン1回 ゴールデングラブ賞1回 月間MVP1回

 

さかまの一番古いドラゴンズの記憶は2007年の日本一なので、その頃から平田は活躍していたことになります。

平田が在籍していた17年間、チームに様々な変化がありました。その中で誰よりもチームの勝利を考え、全力プレイを貫いた選手でした。

活躍が印象的なのはやはり2011年。二試合連続サヨナラ弾やクライマックスでのあのお立ち台、日本シリーズで杉内相手にフェンス直撃打を打っていた姿も思い出されます。

高校時代の活躍を見てきたファンや首脳陣からは平田に対してかなりの期待がかけられていました。時に厳しい意見もありましたが、低迷期と呼ばれる中で平田は日本代表に選ばれる存在にまで成長し、チームを引っ張る存在となっていきました。バンテリンドームを本拠地に6年連続で2桁ホームランが打てる選手がどれほど貴重な選手だったか、ここ数年で何度も認識させられました。

怪我に関しては本人もファンももどかしい気持ちでいっぱいだったと思います。だからこそ、持ちうる力を存分に発揮した2018年は平田が最も輝いた年でした。

現役後半、やはり怪我で一軍出場が減少しました。2021年には重い病気と診断されました。もちろん病気はなった本人にしか症状や気持ちは分かりません。しかし、もう一度グラウンドで平田の姿を見たいというのがファン全員の思いではなかったでしょうか。そして2022年、平田が出場する度に必死に応援しました。結果が出なくても、やはり頼もしい存在であることには変わりありませんでした。打撃も守備もひとつひとつのプレーが目に焼き付いています。

一ファンとしてどうしても悔いが残ったのは低迷期を牽引した平田と大島がいるうちにもう一度クライマックス、日本シリーズの舞台に行きたかったという思いです。

平田は、引退表明後のインタビューで「暗黒期の責任は僕にもある。投打のバランスが噛み合わず、勝負強さが足りませんでした。」と答えていました。しかし、現役を通じて平田が勝負弱かったという記憶は1度もありません。反対方向へ打球が伸びて、左投手に強くて、守備と走塁が本当に上手くて、肩も強い。固め打ちが得意で、サヨナラのチャンスに強くて、何度も怪我を乗り越えて全力プレーを見せてくれた平田が本当に大好きでした。

チームは今変わろうとしています。ですが、平田がプレーを通じて見せてくれた熱い思いは次の世代の選手が受け継いでいってくれると信じています。

今まで本当にお疲れ様でした。

 

今溢れ出す その想いよチカラとなれ 羽ばたけ平田 大空向けて 未来を描け

 

竜の主砲よ目覚めろ 宿敵蹴散らせ Let's Go 平田 ぶち込め 我らの夢乗せ

チームを勝利へ誘え 全力プレーで Let's Go 平田行こうぜ 歓喜の瞬間へと