シーズン成績 30勝12敗 防御率2.47
タイトル・表彰 最多勝
「投げる精密機械」と呼ばれた歴代3位通算320勝の大投手。阪神時代には村山実との二枚看板を築きあげ1962年は沢村賞を受賞する活躍でリーグ優勝に貢献した。1963年のオフに投手力強化を求める大毎オリオンズと長打力を求めた阪神の思惑が一致し、山内一弘とのトレードが成立。狭い東京球場を本拠地としながら宝刀パームで打たせてとるピッチングで開幕から勝ち星を積み重ね9月25日には30勝に到達。最多勝に輝き新戦力として期待に応えた。
【査定について】
ゴロピッチャー...阪神時代は快速球とカーブを武器にゴロが少ないピッチングだったが、球威の衰えや狭い東京球場が本拠地となったことでパームを駆使して打たせてとるピッチングにモデルチェンジ。少し後になるが1970年の阪急戦では内野ゴロ14個を打たせるピッチングをしていたことが当時の週ベでも紹介されている。
パーム...代名詞のパームは空振りを取る大きな変化ではなくゴロを打たせるためのタイミングを外す役割が大きかったようだ。決め球だが大きすぎる変化はして欲しくないので4に。
対左E...阪神時代は王貞治を苦手としていたことが有名。阪神最終年にパームで苦手王を克服したが、移籍後のこの年もブルームから3被本塁打、張本から2被本塁打など左打者を苦手としていることがわかる。
【ひとこと】
御歳88歳の大御所!割とYoutubeにも出てるので元気な姿が拝見できます。
トレード相手の山内はこちら