さかまのパワプロブログNEO

竜党。パワプロでOB選手を再現しています。

千原陽三郎(1968年)【パワナンバー・パワプロ2022】

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キャンペーン「どん底の竜達」

四度の転向を経た左のスラッガー

シーズン成績 打率.268 14本 60打点 2盗塁

4番打者も務めたクラッチヒッター。日本大学時代には東都大学リーグで投手としてベストナインに選出されるなど速球派左腕として活躍。投手としてプロ入りするも大学4年時の怪我の影響もあり1年目の後半に野手へと転向。チームの左投手不足から3年目の66年に再び投手へと転向するも結果を残せず67年の春キャンプで再び野手転向。この年100試合以上に出場し7本塁打と結果を残すと翌68年は広野功の移籍もありファーストのレギュラーを奪取。春先には首位打者打点王を争う活躍を見せ、一時は江藤慎一を三番へと追いやり四番打者に起用されるなど主軸を務めオールスターにも出場した。翌年以降は外国人助っ人の加入などで出場機会を減らし72年限りで引退。星野仙一が名参謀である島野育夫と出会ったのは双方の知り合いであった千原の紹介であったと言われている。

 

【査定について】

初球〇...少ない四球数が示すように積極打法タイプ。4月25日の巨人戦では初回のチャンスでカウントノースリーから外角ストレートを振りに行き先制のタイムリーを放った。

逆境...選手名鑑にも記載がある勝負強い打撃が持ち味。67年4月11日の対巨人戦では、6回まで3安打に抑えられていた中村稔から代打本塁打を放ち逆転勝利のきっかけを作った。この年4月27日の広島戦では1点ビハインドの9回に逆転打を放った。

調子極端...当時の田宮コーチがフォームが一定しないことを課題として指摘している。実際、この年の開幕前は絶不調、開幕後は好調でレギュラー奪取も後半は不調でベンチスタートの試合も増えるなど調子の波があった。

 

【ひとこと】

マジで資料が見つからなかったので特集が組まれていた当時の週刊ベースボールを探して購入しました。

めちゃめちゃ情報が載ってたので殆どこの1冊で査定が完成。また得点圏打率が判明したら作り直すかもしれません。

 

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