ミートの天才
シーズン成績 打率.259 2本 10打点
安打製造機と呼ばれた左の巧打者。大学時代に東都大学リーグの通算最多安打数を記録し、1973年のドラフト1位でドラゴンズに入団。1年目から優勝に貢献し新人王も獲得した。77年のトレード拒否事件もあったが長く一軍戦力として活躍。天性のバットコントロールで左の代打として存在感を発揮し、1982年もチームトップの代打起用数で優勝に貢献した。
【査定について】
対左G...代打では右投手相手の起用がほとんどで、この年も右投手相手で80打席以上に立っているのに対し左投手との対戦は数打席に留まっている。
守備力...打撃が注目されがちな選手だが、守備固めとしても力を発揮した。鈴木孝政も守備が上手いと思った選手に藤波を上げている。
【ひとこと】
これだけの打撃と守備力を持っていてレギュラーを取れなかったのが不思議な選手ですが、筋肉が固い体質で疲労の回復が遅く、年間を通して活躍できなかったという事情もあったそうです。