鉄腕サブマリン
シーズン成績 8勝7敗 防御率3.56
通算107勝のアンダースロー投手。高校時代にドラフト3位指名を受け新日鉄広畑で1年プレーした後に入団。1973年から3年連続で2桁勝利を記録し74年の優勝にも貢献。特に巨人戦に強く、79年には9回2死までノーヒットの快投も見せた。82年にもローテーションの柱としてチーム3位の144投球回を投げ優勝に貢献。日本シリーズでは西武の松沼博久とアンダースロー同士の投げ合いを演じた。引退後は衆議院議員も務めた。2022年3月3日中皮腫により死去。
【査定について】
変化球...シュート、シンカーで打たせてとる投法。速いシンカーが投げられるようになり投球の幅が広がった。映像を見ても速いシンカー系の球を投げている。
内角攻め...左打者対策のインコースへの直球が武器。右打者に対してもシュートで内角を突いた。
【ひとこと】
ドラゴンズのサブマリン投手と言えばこの人。当時の選手名鑑には渋いノドで演歌を歌わせたらチームNo.1という記述も。