スピードガンの申し子
シーズン成績 4勝4敗 防御率2.61
4年目途中に抑えから先発へ転向し2桁勝利。5年目の1982年は先発の軸として期待され開幕投手を務めたが、2回5失点でノックアウトされたばかりか右太ももを故障し戦線離脱。復帰後には抑えの牛島和彦の離脱に伴いストッパーを務め9セーブを記録すると、優勝がかかったシーズン最終戦で先発投手を務め見事完封勝利。日本シリーズでも5試合に登板した。
【査定について】
変化球...基本はスライダーとカーブ。それぞれを縦や横、球速を変化させていた(見せ球で1試合に数球フォークも投げていたが指が短いので全然落ちなかったらしい)。
球速安定...おおむね140後半から150キロ台の球速を出している。球速のエピソードに事欠かない選手であり、デフォルトデータでも取得のハードルが低そうなのでつけてみました。
【ひとこと】
あのイチローが少年時代に憧れた投手。プロスピのイチローセレクションは田尾か小松だと思ってたら全然松阪でした。