シーズン成績 9勝7敗 防御率3.48
台湾からやって来た踊る熱血投手。兵役終了後、1981年のシーズン途中に来日し初勝利を挙げると、2年目の1982年は開幕から先発ローテーションに入る。津田恒美と新人王を争う活躍で8月までに9勝を挙げるがその後は勝ち星を掴めず9月15日の先発を最後に以後は中継ぎのみの登板で2桁勝利には届かなかった。それでもチーム2位の176回を投げ優勝に貢献。同年の日本シリーズでも中継ぎとして登板した。
【査定について】
変化球...先発時代には「七色の変化球」と評される程多彩な変化球を投げており査定が難しい。この年の映像を見るとスライダーに加えてフォークのような落ちるボールを投げている。著書「熱球」のアマチュア時代に覚えた変化球にフォークは含まれていない為、落ちるボールはシンカーとして判断。来日当初の記事を見るとシュートが切れ味鋭い武器として紹介されているが、シーズン終了後のインタビューを見ると右打者にぶつけるのを嫌がりシュートは多投していなかったという。そこで変化量抑え目にシュートも追加。抑え時代の直球投手のイメージも含めて全体的な変化量も控えめにしました。
乱調...登板記録を見ると、立ち上がりは抑えるが中盤で失点するケースが多い。先発時代は完投数の割に完封数が少ない為、これが「勝てない投手」と言われていた原因と考え採用。
【ひとこと】
郭泰源の来日前なので登録名は名字だけにしてます。