さかまのパワプロブログNEO

竜党。パワプロでOB選手を再現しています。

森徹(1959年) 【パワナンバー・パワプロ2022】

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シーズン成績 打率.282 3187打点 9盗塁

タイトル・表彰 本塁打王 打点王 ベストナイン

強肩剛打のスラッガー。高校時代は柔道への道を志していたが、早稲田大学時代にはベストナインに4度選出される活躍で六大学を代表する選手へと成長。鳴り物入りで中日に入団すると、ルーキーながら開幕戦に4番・ライトで出場。同期で大学時代からのライバルである長嶋茂雄が4三振を喫した裏で、広島の大エースの長谷川良平からバックスクリーンへのホームランを放つ活躍を見せた。新人王は逃したものの1年目から23本塁打、73打点の成績でベストナインにも輝く。迎えた2年目の1959年には更なる成長を見せ、桑田武と並ぶ31本塁打、リーグトップの87打点で2冠王に輝いた。翌年も主軸として活躍したが、4年目に濃人渉が監督に就任すると、濃人の贔屓起用も相まって軋轢が生まれ徐々に出場機会が減少。1961年のオフにはトレードで大洋へ移籍。その後東京オリオンズにも移籍し、1968年限りでプロ生活を終えることとなった。

 

【査定について】

肩S...鉄砲肩とも形容される強肩でこの年12補殺。現役11年間で5度の2桁補殺を記録した。練習中にライトの奥深くから3塁側の客席までボールを投げ込んだ逸話も。

アウトコースヒッター...斜視であり、インハイのストレートが弱点だった。

ラインドライブ...ボールを上から叩きつける打法で鋭い打球をスタンドまで運んだ。

 

【ひとこと】

力道山が義兄弟という話が有名ですが、他にもこの選手のエピソードを調べていると本当にドラマを感じます。ルーキーから3年間の成績を見ると、どうしても濃人渉が監督にならなかったら、中日を離れていなければと想像せざるを得ません。語り継いでいきたい選手の1人です。