全力スラッガー・ポパイ井上
1977年成績 打率.284 17本 60打点
勝負強い打撃で竜打線を支えたスラッガー。1967年のドラフト1位で広島に入団したが、73年にトレードでドラゴンズへ移籍。移籍2年目の74年にはレギュラーに定着し初の規定打席に到達するなど、リーグ優勝に貢献した。75年には山本浩二と最終試合まで首位打者を争ったが惜しくも打率2位に終わった。翌年は故障で出場機会を減らしたが、77年もレフトのレギュラーとして強竜打線の一角を担った。
【査定について】
基礎能力 3DBDBCC
3割超えは75年の1度だけだが「ポパイ」の異名をつけられた筋肉質の体格から鋭い打球を放った強打者。高校時代投手の強肩で2桁補殺2度。守備も74年に脅威の左翼守備得点35を叩き出している。
強打者の証?:ラインドライブ 上述の「ポパイ」の異名のように強打者として評される井上だが、本塁打のキャリアハイは18本で通算でも155本とそれほど多くない。上背も無かったことが一因のようだが、スイングスピードは速かったと説明されている為打球の質がライナー性のものが多かったと推測。後年になるが81年日本シリーズのサヨナラ打ではサードの頭を越える鋭い打球を飛ばしている。
恐れ知らずの打撃:アウトコースヒッター 歴代9位の死球数が示す通り、球を怖がらずに思い切って踏み込む打撃フォーム。外角の遠い球も踏み込んで捉えにいっていたのだろう。引退後のインタビューでは左肩が慢性亜脱臼で左肘を少し開けないとバットが振れず、本人も「バットが遠回りになるから内角が苦手だった。」と語っている。
全力プレー男:内野安打〇 闘志溢れるプレーが心情。引退後のインタビューでは「ボテボテの当たりでもセーフの可能性があれば必死に走るとか、そういうことでファンは喜んでくれる」と語っている。
チャンスB 無走者時打率.234 得点圏打率.365
盗塁C 捕手が捕ってから走り出すディレイドスチールが得意だったと当時同僚だった谷沢が語っている。
【ひとこと】
75年は大手ブログでも作られてますが77年はパワプロブログ初じゃないでしょうか?強打者と語られていることが多く、パワーBにしつつ成績を再現する方法に悩みましたが納得のいく能力になりました。
これで2024年最後の更新となります。今年も一年間ありがとうございました!
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