尾張の怪物
シーズン成績 .361 2本 8打点
高校通算49本塁打を記録した剛打が魅力のスラッガー。享栄高校時代には3年春の甲子園に出場し大会記録となる11打席連続出塁や片手一本でライトスタンドに運ぶホームランなど大活躍を見せた。1983年のドラフト1位で地元ドラゴンズに入団すると、入団時から大きな期待を受け背番号1を背負う。序盤こそ二軍戦に出場していたものの、ジュニアオールスターでの4打席連続安打などをきっかけに夏場から一軍に昇格。主に代打として少ない打席数ながら打率3割5分を超えるルーキーらしからぬ大活躍を見せた。その後は守備難や打撃不振でブレイクできず、素行面でも問題が見られ90年に日ハムにトレード移籍。92年に戦力外通告を受け、そのまま現役を引退した。
【査定について】
前回から変更した部分だけ
打撃能力 バッティングは天性のものがあったようで、当時の山内監督からも「インパクトの瞬間はチーム1。田尾、谷沢以上。」と評されている。高卒1年目らしからぬ打撃センスを表現したいのでパワーもCまでアップ。
広角打法 高校時代から「広角ヒッター」を自認しており、高校3年時の東海大会で左方向へ2本スタンドインさせている。プロ初本塁打も北別府から放った左方向。「怪物感」を出す為に、かなり強くはなるがこの特能を追加。
対左F 当時の週べに左投手が苦手だったという記述がある他、手元の資料で確認しても左投手とはほとんど対戦していないことが判明。
併殺 翌年以降はそこまで多くないが、この年は39打席で4、二軍でも210打席で5と左打者にしては多め。
大物の素質:対エース〇 翌年オフのインタビューでは二軍について「なんか野球やっている気がしない」と発言している。この年も二軍では.227と数字が低いことや、北別府(広)や山根(広)、西本(巨)など各球団のエース級から1年目にして安打を打っており、大舞台での強さを考えて付与。
【ひとこと】
新作一発目は藤王を作成しました!今作は公式によるOBが充実していますが、当ブログでは藤王のように記憶に残る選手を作っていきたいと思います!
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