ドラゴンユーティリティ
キャンペーン「どん底の竜達〜Never give up!!」
1968年成績 打率.227 10本 33打点
地元中京商業出身の内外野どこでも守れるユーティリティプレイヤー。6年目の1964年には三塁でレギュラーを掴み自身初の規定打席に到達したが、その後は打撃の調子をキープできずレギュラー定着とはならなかった。68年には徳武定祐の加入もあり複数のポジションで出場し、自身初の2桁本塁打を記録。1シーズンで投手と捕手以外の全てのポジションに着き、自己キャリア2位の131試合に出場した。
【査定について】
基礎能力 2ECCBCD
高校時代投手を務めた肩は強く、守備も堅実だが複数ポジションを守った影響からかこの年はエラー数が多い。打撃は非力でリーグワースト3位の打率に終わったが、キャリアハイの10本塁打を放った。
チャンスF リーグワーストの得点圏打率.167
対左E 右投手先発時打率.232(336-78) 左投手先発時打率.196(61-12)※自力計算 ミートもEまで上げたので辛めに査定。
サヨナラ男 62年にサヨナラ打3度、63年にもサヨナラ安打1サヨナラ犠飛1、67年にも1度と出場数に対して数多く記録している。
悪球打ち 「悪球打ちのリュウ」と呼ばれていたようだ。四球数のシーズンキャリアハイも24とかなり少ない。
サブポジ シーズンによっては外野専念の年も。この年セカンドも48試合守ったがショートは通算でも7試合。
【ひとこと】
全ポジション守りながら規定打席に立って2桁本塁打、低打率ながら通算サヨナラ打も多く、背番号も後に宇野や根尾(あとセサルとか)が背負った7番。面白い!作成しながらどんどん好きになっていった選手でした。
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