竜を愛した安打製造機
キャンペーン「どん底の竜達〜Never give up!!」
1980年成績 打率.291 1本 22打点 8盗塁
天才と呼ばれたミートセンスを持つ外野手。中央大学時代に東都大学リーグで初の三冠王を獲得し、73年ドラフト1位でドラゴンズに入団。1年目から代打や守備固めとして優勝に貢献し新人王を獲得。その後は伸び悩み77年シーズン前にトレード通告されるもこれを拒否し残留。レギュラーには届かなかったものの、代打の切り札や守備固めとして82年の優勝にも貢献した。80年は主にセンターとして上位打線を任されキャリアハイの119試合出場、95安打を記録した。
【査定について】
基礎能力 2CDCDBD
レギュラーには届かなかったが、その打撃センスの再現にミートCは外せない。この年は1本塁打だが、77~79年は各年規定未到達で4本塁打以上放っているのでパワーD。守備は同僚の鈴木孝政が絶賛しており、ゴールデングラブ常連の平野よりも上と語っている。基礎能力を強めにしたので出場数のバランスも考えて特殊能力は少なめに作成。
粘り打ち 藤波のミートの真骨頂。キャリアシーズン最多三振数はなんと18
内野安打 通算539安打中93安打が内野安打。これは脚力が衰えた晩年の数字も含まれているので若手時代の割合は更に高かったはず。大学時代から内野安打が多かったようで、本人も「 俺は1番で、四球を選んだり、汚い内野安打を打ったり(野手と野手の間にポトリと落ちる)カンチャンヒットを打ったりする選手。」と語っている。
代打〇無し 代打率.207(29-6) 平野謙台頭前のこの時期はセンターのレギュラー格で代打起用数も若手時代や後年に比べて少ない。
回復E 筋肉が固い体質で疲労の回復が遅く、年間を通して活躍できなかった。レギュラー定着出来なかった理由の一つ。
【ひとこと】
前作までのミート基準だとCにするか微妙でしたが、今作の基準変更でギリギリCに乗せることが出来ました。やったね!
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