闘志のジャーニーマン
シーズン成績 打率.307 9本 59打点 9盗塁
現役14年間で4球団を渡り歩き通算1087安打を放った好打者。法政大学時代は田淵幸一、山本浩二と並び「法政三羽ガラス」と評されドラフト1位で南海に入団。2年目には23本塁打で最多得点と頭角を表すが、打撃面での不調もありレギュラー定着とはならず。1972年オフには長嶋茂雄の後継者を探していた巨人にトレード移籍。73年の日本シリーズでは負傷離脱の長嶋に代わって出場しV9を達成したが、翌年以降はレギュラーを掴めず75年オフに日本ハムへのトレードが発表される。76年に5年振りの規定打席到達を果たすと、翌77年はサードのレギュラーとして自身初の規定3割を記録した。晩年には中日に移籍。史上2人目の全球団からの本塁打を達成し82年限りで引退。
【査定について】
流し打ち...大学で田淵の豪快な打撃を目にし、「自分は右中間へのライナーを目指す」と決意。77年は右方向への安打数が左方向を上回った。
ホーム突入...73年の日本シリーズでは猛スライディングで捕手野村克也の落球を誘い決勝点をもぎ取り流れを変えた。
高速チャージ...巨人移籍時のインタビューでは俊足を活かしたバント処理なら長嶋にも負けないと語っている。
【ひとこと】
田淵、山本浩二の影に隠れがちですが名選手ですよね。82年中日を作った時に初めて知った選手ですが、今ではさかま的ベストナインに入りそうなぐらいお気に入りな選手の一人です。