燃える男
シーズン成績 3勝5敗0S 防御率5.32
プロ14年目の1982年はコーチ兼任ながら小松や曽田の故障で駒不足に陥った先発陣を支え18試合に登板。衰えた球威を気迫と投球術でカバーし、4/8にはサヨナラ負けを喫したものの151球を投じるなど投手陣のリーダーとしてリーグ優勝に貢献した。優勝争い中の10月まで登板したが、防御率5点台と不本意な成績に終わりこの年限りで引退を決意。翌年行われた引退試合のセレモニーで「ここに燃え尽きました」との言葉を残し現役を退いた。
【査定について】
緩急...1980年まで在籍した稲尾和久コーチが「ブルペンでの球は捕手の前でお辞儀するようだった」と語るほど球威が衰えていたが、緻密な投球術で球威をカバー。試合中の風向きによって配球を変えるなど頭脳的な投球も見せた。
根性...引退年、35歳という年齢ながら先発した10試合のうち6試合で100球以上を投じたほか、前年には160球完投勝利も果たしている。イメージ的にもピッタリ?
【ひとこと】
有名選手の晩年の能力査定はすごく楽しい!「天下分け目に星野あり」は燃えよドラゴンズ史上最高にかっこいい歌詞です。