頭脳派ストッパー
シーズン成績 7勝4敗17S 防御率1.40
入団3年目の1982年は小松辰雄の先発転向に伴い抑え投手に抜擢。冴え渡る投球術で守護神として君臨し、途中肘痛による離脱があったものの、防御率1点台で17セーブを記録し優勝に貢献した。接戦時の登板も非常に多く、引き分け試合の最後に登板した投手につく「引き分け」数では日本タイとなる11を記録した。
【査定について】
変化球...フォークは変化方向や球速で数種類を投げ分けていた。また、フォークを意識させた状態で一旦浮き上がるカーブを効果的に使っていたと語っている。後にスライダーやシュートも覚えるのでフォークとカーブだけの2球種にするのも迷ったがスピードがない分色々なボールで攻めていたという投球スタイルを再現するために今回はフォークを2種類に
緊急登板...「火消しに生きがいを感じる」と語る強心臓でピンチを抑えた。
【ひとこと】
当時の映像では20歳とは思えないマウンド捌きをしてます。離脱がなければこの年のMVPだったんじゃないでしょうか。