シーズン成績 打率.350 14本 41打点
説明不要の竜のヒットメーカー。7年目の1982年は開幕から1番に座ると、4月こそ月間打率.254に終わったものの翌月からは安打を量産し大洋の長崎啓二と首位打者を争う活躍を見せる。10月には4割超の月間打率を記録し最終戦を残した段階で長崎に9毛差まで詰め寄ったが、最終戦で大洋ベンチは5打席連続敬遠を選択。5打席目には敬遠球に対して空振りする行動も見せたが、惜しくも首位打者を逃す結果となった。優勝がかかっていたチームにとって田尾の出塁は優位に働き、この試合に勝利した中日は8年振り3度目のリーグ優勝を決めた。
【査定について】
対ストレート...プロに入ってから速球派と呼ばれる投手のストレートを特別速く感じたことは無いと語っている。立浪、山崎武司がかすりもしなかったソフトボールアメリカ代表のミシェル・スミスのライズボールを打ったという逸話も。
ローボールヒッター...ボールになりそうな低めの球もすくい上げるようなバッティングでヒットにする印象。自信でもインローが好きだったと語る他、当時対戦した平松政次も低めのボールを打たれた印象が強いと述べている。
【ひとこと】
イチロー記念館には「田尾を返せ」と刺繍された家庭科のエプロンが展示がされているみたいです。